『出張 なんでも官邸団 in 渋谷区神南』〜NHK島田敏男

新聞社やテレビ局の政権へのへつらいは日々ひどくなっている。

具体的な事例がでるたびに、twitterで流れてくるのは、「マスコミは戦前に戦争協力した。同じ道は歩むな。歴史に学べ」という声。

本当に学んでくれて、政権とは距離を置いて批判するべきところは批判するようになってくれれば、それはありがたい。

だけども、「歴史に学べ」というのならば、新聞の読者、テレビの視聴者こそ、そうするべきだ……と、思ったりする。
安倍寿司友(鮨とも)、NHK解説委員長・島田敏男
・前回(戦前)、戦争協力だって、積極的にやったぐらいだから、今回だってやる

・マスコミは、自分たちに火の粉がかかって来ない時は、『ジャーナリズムだ』『社会の木鐸だ』と威勢がいい。だけど、肝心なときになればなるほど、当てにならない。すぐに寝返る

……ということこそ、歴史の教訓なのではないだろうか。

ちなみに、新聞社の戦争責任の取り方・反省はどの程度のものだったのかを振り返ってみる。


朝日新聞社の場合、象徴的なものとしていつも例にされるのが、『国民と共に立たん』の宣言。

1945年11月7日に新聞紙面に出された。ほかにも二、三社説などが出たようだけども、これが最も知られている。

そう書くと、かなり派手派手に出したような印象を受けるだろうけども、記事のサイズとしては、いまでいう“ベタ記事”。

「ほんの少しでも、あの時点で出しておいたので、引き合いに出せる」という程度のものでしかない。つまり、「アリバイ作り」としか見えない。

すでに著作権が切れているので、全文を挙げてみる。

朝日新聞社「国民と共に起たん」宣言
(1945年11月7日)
宣言
支那事変勃発以来大東亜戦争終結にいたるまで朝日新聞の果したる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容とをもって、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである。今回村山社長、上野取締役会長以下全重役および編集総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦争中を通じ、幾多の制約があったとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、国民をして事態の進展に無知なるままに今日の窮境に至らしめた罪を天下に謝せんがためである。今後の朝日新聞は全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民と共に立ち、その声を声とするであらう。いまや狂瀾怒涛の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである。  朝日新聞社

繰り返しいっておくけど、戦争協力への反省を表明したものとして、これを超えるものはない。繰り返し掲載されたわけでもない。この11月7日きり。

ほかの新聞社はといえば、読売新聞でも、戦後しばらくはリベラル路線の紙面を作っていたらしい。

それが変わったのは、ナベツネ(渡邉恒雄)が力を持つようになってから。

私の世代であれば、「政権べったりの東京政治部・渡邉恒雄と、リベラル派とされた大阪社会部・黒田清の勢力争い」の様子は記憶にある。

また、産経新聞は戦前には経済紙で、一般紙になったのは戦後。司馬遼太郎は一般紙になって数年して間もないころに入社している。

これが右旋回するのは、経営者として財界から鹿内信隆がこり込んでから。

司馬は鹿内のことを「ハイジャッカー」と読んでいたとか。「社が乗っ取られた」ということだ。

ちなみに、NHKに関していえば、見落としている人も多いけれど、戦前は取材部門を持っていなかった。原稿は通信社から来たものを使った。

だから、戦前には「日本放送協会(NHK)の記者」というのはいない。

戦後は長らく、組合の日放労(日本放送労働組合)がかなりの力を持っていて、これが重しになっていたらしい。

今はどこへ行ったのやら……

コメント