愛媛の全県立高、政治活動届け出を校則化……馳文科相「私が校長ならシナイ」

馳浩は「高校教員時代に、竹刀が折れるまで生徒をぶん殴っていた」という話が広まっている。

もちろん、本来はマイナスになるイメージだ。だけど、「単なるプロレスラーかと思っていたら、高校の先生の経験もある」と、どうもプラスイメージも同時に付いているような気がする。「だから、文部大臣なんだぁ」といったように。

でも、これは内容をちゃんと見てみよう。
高校の政治活動届け出問題での文科大臣応答
母校の星稜高等学校で国語の教員になったのが、1984年4月。プロレスラーになるために、退職したのが、1985年8月。

その間、1年余り。大学卒業直後の春に教員になって、次の年の一学期ぐらいで辞めてしまった……ということか。しかも30年も前だ。

昔々、習い覚えたことでは、採用試験などで、「経験者可」となっている「経験者」とは、「最低でも職歴3年」だった。

つまり、世間一般の常識でいえば、馳の教員としての経歴は評価としてはゼロだ。


今の時代ならば、「第二新卒」。やはり、「何も身につけていない、まっさらの状態」扱いだ。

そもそも、「3年」とか「第二新卒」とうだうだいわなくても、社会人組織で過ごしたことのある人ならば、入社1年の人間が使い物になるかどうかは身にしみて知っているだろう。

馳の初当選は、1995年で、この時は参議院だった。これは1期だけで転じて、衆議院で当選6回。これまでの存在感のなさから考えると、意外なほどのベテランだ。

もちろん、議員として教育に取り組んできているのならば、若い時の話は無視していいだろう。いわゆる「教育族」ならばね。

だけど、「なにかやった」という話は全くみつからない。典型的陣がさ議員。

そんな人が教育行政のトップに立つ。

文部大臣は昔から、それほど重要ポストとしては扱われていなかったと思う。派閥の首領がなるようなものではなかった。だけど、それなりの見識のある人がなっていたのではないだろうか。

また、与党の政治家の中に人材がいなければ、学者・教育者として名をなしたような人をお迎えしていた。

古い話ばかりになるけど、たとえば天野貞祐(在任1950.5~1952.8)、永井道雄(1974.12~1976.12)、有馬朗人(1998.7~1999.10)といった例がある。

天野は哲学者というだけではなく、大臣になる前は旧制一高の校長も務め、退任後は獨協大の学長にもなった教育者。

永井は東京工業大学などの教授を歴任し、専門は社会教育学。退官後は朝日新聞社に迎えられ、論説委員。

有馬は物理学者で、元東大総長。俳人としても知られていた。

管掌する仕事内容を考えると、全く不自然さを感じない。さすがに天野の時代はリアルタイムでは知らない。永井や有馬ならば、うっすらとだけど、内閣の目玉になっていたような覚えがある。

こういったその時代を代表するような知識人がいてもおかしくないポストだった。それが今は高校教員崩れの元プロレスラーがなっている。

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